塾長より
ごあいさつ
1998年、春日井市の小学校体育館を借り、数名で稽古を始めたのが龍成塾の出発点です。以来四半世紀あまり、春日井市・名古屋市西区・清須市へと道場を広げ、3歳のお子様から大人まで、幅広い世代が同じ道場で汗を流しています。
私が空手の指導に携わって、35年以上になります。学生時代に和道流空手で「体の使い方・力の受け流し」を学び、のちに剛柔流の稽古も重ねて、伝統空手の土台を築きました。その後、元プロ空手チャンピオンの師のもとで「力の生み出し方・伝え方」を身につけ、硬式空手やグローブ空手といった、防具やグローブを着けて実際に技を交わすスタイルにも取り組んできました。寸止め・フルコンタクト・防具付きと複数のルールを自らの体で経験し、その集大成として、安全に実戦的な打ち合いができる防具付き空手を龍成塾の主軸に据えています。
「龍成塾」の名は、水の神である龍に由来します。水は器に合わせて姿を変えながら本質を失わず、集まれば岩をも砕く――形にとらわれず本質を求める姿勢を道場の名に込めました。2026年には、技術と理念をまとめた著書『空手の深化』を上梓しました。
私は空手の指導者であると同時に、いくつかの事業を営む経営者でもあります。社会に出てから本当に問われるのは、約束を守る誠実さ、最後までやり抜く粘り、人を敬う姿勢――その土台の多くは、空手の稽古場で培われるものだと、日々の仕事の中で実感しています。だからこそ子どもたちには、勝ち負けだけでなく、社会に出てからも自分を支えてくれる力を、空手を通じて手渡したいと考えています。
日本空手道 龍成塾 塾長 岡本 康(おかもと やすし)
塾長 岡本 康 著書
空手の深化
― 龍成塾の技術原理と稽古の設計思想
龍成塾の技術と理念を体系化した一冊。動素・型・組手の原理から、道場という「場」の設計思想までを綴っています。
Amazonで見る ›塾長のお話
著書『空手の深化』をもとに、稽古や子育てのヒントになるお話を綴っています。気になるテーマからお読みください。
▶ 「負け」こそ、子どもが空手で得られる宝物
試合の「負け」は、子どもにとって最高の教材です。
▶ 「水のように」― 龍成塾という名前に込めた思い
なぜ「龍」なのか。名前に込めた、形を変えても本質を失わない生き方。
▶ インドア少年が、空手家になるまで
家の中で過ごす少年だった私が、空手に出会うまで。
▶ なぜ龍成塾は「防具付き空手」なのか ―“ごまかしの効かない”稽古
打撃が届くからこそ、ごまかしが効かない。道場選びの判断材料に。
▶ 「礼に始まり礼に終わる」の本当の意味
礼は道徳ではなく、道場が壊れないための「仕組み」です。
▶ 強い人ほど、力を使わない ―“本当の強さ”とは
本当の強さとは、力を持ちながら使い方を選べること。
▶ 「練習ではできるのに、本番で出せない」のはなぜ?
「あがり」には理由があり、本番で出す力は稽古で鍛えられます。
▶ 上達の主役は、いつもあなた自身
上達の主導権は、いつも自分の手の中にあります。
▶ 型は身体の「OS」である ― 先人からの“問い”を受け取る
型は「答え」ではなく「問い」。身体の土台(OS)を作る稽古です。
▶ 基本に「終わり」はない ― 十年後の正拳突き
同じ突きでも中身は変わり続ける。空手は生涯の道です。
▶ 「3歳と70歳が、同じ道場に立つ」― 町道場という“異年齢”の学び場
年齢も帯の色もバラバラ。その「そろっていなさ」こそが学びになります。
▶ 「勝ちたい」が、子どもから空手を奪う ― 勝利至上主義が歪める3つのもの
勝利は手段であって、目的ではない。勝ちすぎる稽古が失う三つのもの。
▶ 審査は、相手ではなく“基準”と向き合う場所 ― 「鏡」としての昇級審査
審査が映すのは評価ではなく事実。過程も見る、龍成塾の昇級審査。
▶ 親が見るのは「結果」ではなく「通い続ける姿」― 道場と家庭の役割分担
鍛えるのは道場、安心して帰る場所は家庭。その役割分担のすすめ。
▶ 強さの前に「よりよく生きる」― 龍成塾が稽古で本当に育てたいもの
強さは目的ではなく手段。稽古を通して育てたい、たった一つのこと。
▶ 教わる側から、教える側へ ― 後輩に教えると、自分の技が深まる理由
教えることは、いちばん深い学び。道場で技が受け継がれていく仕組み。
▶ 子どもに「言葉」で教えられないこと ― 大人と子どもの“学びの非対称”
大人は言葉から、子どもは身体から。学びの入り口は一人ひとり違います。
▶ 道場の“共通言語”を持つ ― 「動素」「引き手」を言葉で揃えると上達が変わる
同じ動きを、同じ言葉で。道場の共通言語が、上達の速さを変えます。
▶ 指導者は「完成者」ではない ― 門下生の少し先を歩く“師弟同行”
指導者もまた修行者。完成ではなく、先を歩く後ろ姿で教えます。
▶ 「通い続ける」こと自体が、才能だ ― 継続が生む静かな成長
派手な才能はいりません。通い続ける力こそ、いちばん静かで強い才能です。
