「3歳と70歳が、同じ道場に立つ」― 町道場という“異年齢”の学び場
龍成塾事務局
道場の戸を開けると、いつもの光景が広がっています。開始を待って正座する列の中に、まだ自分の帯をうまく結べない三歳の子がいます。その隣には、白髪の交じった六十代、七十代の方が、ぴんと背筋を伸ばして座っています。帯の色もまちまちです。まっさらな白帯のとなりで、すり切れた黒帯が静かに折り目を伸ばしています。
学校でも、よその習い事でも、これはなかなか見られません。たいてい人は年齢で区切られ、学年でそろえられ、級で分けられます。同じくらいの力の者どうしを集めたほうが、教えるのも運営するのも楽だからです。けれど龍成塾は、あえてそれをしません。幼児も大人も、始めたばかりの人も長く続けている人も、同じ道場で稽古します。
この「そろっていなさ」こそが、町道場の力だと私は思っています。
小さな子は、自分より大きな先輩の動きを横目で見て、言葉ではなく身体で「ああいうふうにやるのか」と受け取っていきます。大人は逆に、子どもの柔らかさや、恐れを知らない素直さに、何度もはっとさせられます。色帯の中学生が、初めて来た白帯の小学生に、正座の仕方をそっと教える。教えた本人が、教えることで一段うまくなる。年齢も立場も違う者が同じ場に混ざっているからこそ、上から下へ、下から上へ、横から横へと、学びがあちこちに流れていきます。
均質な集団は、たしかに効率はいいでしょう。けれど、自分とよく似た人しかいない場所では、人はなかなか広がりません。三歳と七十歳が同じ礼で頭を下げ、同じ号令で拳を握る。その光景の中にこそ、龍成塾が大切にしているものが、いちばん素直に表れていると思います。
道場は、技を習う場所であると同時に、いろいろな人がまざって生きていく練習をする場所でもあります。今日も、その雑多で温かい道場で、稽古が始まります。
