教わる側から、教える側へ ― 後輩に教えると、自分の技が深まる理由

龍成塾事務局

道場である程度の年数を重ねると、誰もが少しずつ、教える側に回っていきます。先輩が後輩に正座を教え、色帯が白帯に受けを教える。これは人手が足りないからではありません。教えることが、その人自身をいちばん伸ばすからです。

不思議なもので、人は「できる」だけでは、本当には分かっていないものです。身体は正しく動いていても、なぜそう動くのかを言葉にできない、ということがよくあります。ところが、後輩に教えようとした瞬間、それではすまなくなります。「もっと腰を回して」と言えば、「どのくらい?」「どうやって?」と返ってくる。その問いに答えようとして、自分の中であいまいだった部分が、急に輪郭を持ちはじめます。

教えるとは、自分の技を一度ばらして、言葉に組み直す作業です。引き手はなぜ要るのか。なぜ目線を切ってはいけないのか。感覚でやっていたことを、いちいち立ち止まって説明する。その過程で、自分でも気づいていなかった「分かっていなさ」に出会います。そこを埋めると、自分の技そのものが一段深くなるのです。

ですから龍成塾では、教えることを「面倒な役回り」だとは考えません。むしろ、上達のもう一つの入り口だと思っています。受け取るだけでは、人はある所で止まります。受け取ったものを、次の誰かに手渡そうとしたとき、はじめて見えてくる景色があります。

教えられる側から、教える側へ。これは、卒業ではありません。学びの形が変わるだけです。教える者は、教えながら、いちばん深く学んでいます。後輩に向かって「こうだよ」と口にしたその言葉が、まっすぐ自分にも返ってくる。道場の学びは、そうやって、人から人へと受け渡されながら、それぞれの中で深まっていきます。

記事URLをコピーしました