道場の“共通言語”を持つ ― 「動素」「引き手」を言葉で揃えると上達が変わる
龍成塾事務局
ある指導員が「もっと力を抜いて」と言います。別の指導員は同じ場面で「肩を落として」と言う。さらに別の者は「楽にして」と言う。三人とも、伝えたいことは同じです。けれど、言葉がばらばらだと、教わる子どもは混乱します。「結局、どれが正しいの?」と。
道場には、共通の言葉がいります。私が本の中で「動素」や「引き手」「極め」といった言葉を、わざわざ定義し直したのは、そのためです。
たとえば「動素」。突きや蹴りを支える、もっと小さな力の要素のことです。溜め、軸、ベクトル、壁、脱力、インパクト。これらに名前をつけておくと、指導が一気に正確になります。「今の突きは壁が甘い」と言えば、どの指導員も、子ども本人も、同じ一点を思い浮かべられます。名前のない感覚は、人によって違うものを指してしまう。名前のある概念は、道場の全員が同じ地図を見られるようにしてくれます。
共通言語は、指導員のあいだだけの話ではありません。子ども自身が言葉を持つと、自分で自分の動きを点検できるようになります。「あ、今のは引き手が遅れた」。そう自分でつぶやけた瞬間、その子は教わる存在から、自分を育てる存在に変わりはじめます。
ですから龍成塾では、言葉をそろえることを大切にしています。指導員によって言うことが違えば、子どもはどこを直せばいいか分かりません。みんなが同じ言葉で、同じものを指す。それだけで、伝わる速さも、上達の速さも、はっきり変わってきます。
技術を磨くのは身体ですが、その身体を正しい方向へ導くのは、案外、言葉なのです。道場という場に共通の言葉が根づいたとき、稽古ははじめて、ばらばらの個人練習から、積み上がっていく一つの体系になります。
