審査は、相手ではなく“基準”と向き合う場所 ― 「鏡」としての昇級審査

龍成塾事務局

組手では、目の前に相手がいます。相手の動きに反応し、駆け引きをし、勝った負けたがはっきり残ります。

審査は、それとは少し性質が違います。審査の日、子どもの前に立ちはだかるのは相手ではありません。「基準」です。決められた立ち方ができているか、引き手が締まっているか、型を最後までやり切れるか。向き合う相手は、いつだって自分自身になります。

私はよく、審査は鏡のようなものですとお話しします。鏡は、映すだけです。お世辞も言わなければ、意地悪もしません。今の自分がどこに立っているのかを、ただありのままに返してきます。受かれば、ここまで積み上げたものが本物だったという事実が映る。届かなければ、まだ埋まっていない隙間が映る。そこに映るのは評価ではなく、事実です。だから審査は、誰かに勝つための場ではなく、自分の現在地を確かめるための場になります。

そしてもう一つ、龍成塾の審査で大切にしていることがあります。技術の到達度だけを見ているわけではない、ということです。

子どもには、生まれ持った運動能力の差が、たしかにあります。同じ期間稽古しても、すっとできる子と、なかなか形にならない子がいます。それを到達点だけで切ってしまえば、努力が報われない子が出てしまいます。だから私たちは、そこに至るまでの過程も見ます。休まず通い続けたか、できないことから逃げずに向き合ったか。「困難の中で、努力を続けられる力」。これは、どんな運動神経よりも、その子の人生を支える力だと思っています。

昇級の帯は、強さの証明書ではありません。「あなたは、ここまで自分と向き合ってきましたね」という、鏡に映った姿への、ささやかな承認です。だから審査は、受かっても落ちても、必ず一つ前へ進む場所になります。

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