「水のように」― 龍成塾という名前に込めた思い

「龍成塾」という名前を、不思議に思われる方もいるかもしれません。空手の道場なのに、なぜ「龍」なのか、と。

龍は、水の神です。水は、丸い器に注げば丸くなり、四角い器に注げば四角くなります。姿は自在に変わりながら、その本質は決して変わりません。静かに流れているように見えても、集まれば岩をも砕く力を持っています。「水を支配する力を得る(成る)塾」――それが龍成塾の名の由来です。

この名前には、私自身の歩みが重なっています。私は和道流という、相手の力を受け流す柔らかい空手から始めました。その後、顔面への打撃も認めるフルコンタクト、さらに防具付き空手へと進みました。一つのルールにとどまらず、状況に応じて姿を変えながら、空手の本質を追い続けてきました。形にこだわるのではなく、形の奥にある原理を求める。その姿勢を「水」という一字に託したのです。

そもそも龍成塾は、大きな志から始まったわけではありません。1998年、師匠が指導から離れ、稽古する場所を失った私は、「ならば自分で場所を作るしかない」と、自宅近くの小学校の体育館を借りました。動機は、ただ自分が空手を続けたかった、それだけです。

けれど、場所を作って稽古を始めれば、人が集まります。人が集まれば、教える必要が生まれます。教えようとすれば、自分のやっていることを言葉にしなければなりません。その繰り返しの中で、龍成塾の技術と指導法は少しずつ形になっていきました。天候が悪くても、疲れていても、参加者が少なくても、決まった曜日に稽古の灯を消さない。その愚直な継続こそが、今日まで続く龍成塾の土台です。

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