「勝ちたい」が、子どもから空手を奪う ― 勝利至上主義が歪める3つのもの

龍成塾事務局

試合で勝てば、子どもは目を輝かせます。親御さんも喜びます。指導者の私も、正直うれしい。勝利には、人を前に進ませる力がたしかにあります。

ただ、その「勝ちたい」が大きくなりすぎると、いつのまにか空手そのものを壊しはじめます。長く道場をやってきて、私はその怖さを何度も見てきました。勝利至上主義は、静かに三つのものを歪めていきます。

一つめは、稽古です。「勝つこと」だけが目的になると、稽古は試合の対策に偏っていきます。点を取りやすい技ばかりを磨き、ルールの隙間を突く動きを覚える。基本や型のような、すぐには結果に結びつかない地味な土台が、後回しにされていきます。目先の一勝のために、いちばん深いところが痩せていくのです。

二つめは、人です。勝てる子だけが脚光を浴び、試合に出る子と出ない子のあいだに、見えない序列ができてしまいます。本当はそれぞれの歩みがあるはずなのに、「勝てるかどうか」という一本のものさしで、子どもが選別されていきます。

三つめは、時間です。勝つことが空手の意味になってしまうと、勝てなくなった日が、辞める日になります。体が大きくなる、強い相手が現れる、思うように勝てなくなる。そのとき「もう自分には向いていない」と離れていく。本当はそこから先にこそ、空手の面白さがあるのに、です。

やっかいなのは、この罠にいちばんかかりやすいのが、ほかでもない指導者自身だということです。教え子が勝てば自分の手柄のように感じ、もっと勝たせたくなる。だからこそ私は、自分に言い聞かせています。勝利は手段であって、目的ではない、と。子どもがこの先何十年と空手と付き合っていく、その入り口を、目先の勝ち負けで狭めてはいけません。

勝ちにこだわるな、という話ではありません。勝ちたい気持ちは、大事に育てます。ただ、それを子どもから空手を奪う刃にしないこと。そこに、指導する側の覚悟がいると思っています。

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