指導者は「完成者」ではない ― 門下生の少し先を歩く“師弟同行”
龍成塾事務局
指導者と聞くと、すべてを修めた完成された人、というふうに思われがちです。けれど、私はそうは考えていません。指導者とは、門下生より少しだけ先を歩いている、一人の修行者にすぎないと思っています。
この「師弟同行」という感覚を、私はずっと大事にしています。先を歩いてはいますが、ゴールに着いた者ではありません。私自身、今も自分の正拳突きに迷いますし、何年も前にできたつもりのことが、ある日ふいに崩れたりします。空手は、立場が上がるほど終わりが遠ざかっていきます。ですから指導者になっても、稽古はやめられません。やめた瞬間、先を歩く資格を失ってしまいます。
完成していないことは、弱みではないと思っています。むしろ、まだ歩いている人だからこそ、後ろの人に手渡せるものがあります。つまずいたばかりの道を覚えているから、「そこは滑るよ」と言える。迷いの最中にいるから、迷う子の気持ちが分かる。完璧な手本より、少し先で同じように汗をかいている背中のほうが、人を動かすことがあります。
ですから私は、門下生の前で、できないことを隠しません。分からないことは「分からない、一緒に考えよう」と言います。指導者が完成者のふりをすると、道場から「学び続ける空気」が消えてしまいます。上に立つ者が今も学んでいる姿を見せること。それが、いちばんの教えになると思っています。
指導者の役割は、頂上から手招きすることではありません。少し先の道を、振り返りながら、共に歩くことです。私が門下生に渡せるのは、完成された答えではなく、「まだ歩いている」という、その後ろ姿だけかもしれません。けれど、それで十分だと思っています。師も弟子も、同じ道を歩く仲間なのですから。
